26日放送の『踊る! さんま御殿』(日本テレビ系列)に出演したモデルのアンミカ(41)の幼少期が話題になっている。
同番組は「昔、貧しかった芸能人SP」と題して芸能人が業界で成功するまでに体験した貧乏生活を披露したのだが、アンミカのエピソードは他の出演者とは比べものにならない程凄まじいものだった。
アンミカは韓国・済州島出身で大阪育ち。
子供時代に暮らしていた大阪の家は「家」ではなく、他人の住む長屋の“2階部分”だった。
当然のことだが玄関は共有でトイレ・風呂も共同な上、家主が留守の時にささっと入っていた。
「自分の家の玄関があることが羨ましかった」と語る。
生活スペースは4畳一間で両親とアンミカ含む兄妹5人の計7人が生活。
また幼少期はおやつも用意されたことはなく、夜中3時に親に叩き起され子供達だけでリュックを背負いビニール袋を持って青果市場へ。
市場まではもちろん徒歩だが自宅から3駅ぶん程先にある距離だ。
子供達だけで行動しているからか市場の人々が売れ残ったフルーツや傷んでいる品物を恵んでくれ、それを使っておやつを作っていたという。
しかしフルーツでもスイカは傷みにくく分けてもらえることがなかったため、「スイカを食べるのが夢だった」
子供の頃一度だけ親戚からスイカを貰って食べたのだが、そのときの味を忘れられず「スイカ食べたい」というと、親が取っておいたタネを出し、そのタネをずっとしゃぶっていたという。
「しゃぶったらスイカの味がするから」と当時を振り返っていた。
同番組共演者がスイカの皮を漬物にしたりして食べていたと話題では「うちはそれで体を洗っていました」明かしスタジオ中を驚かせていた。
他にもアンミカは一家の住んでいた家が2度にわたって全焼した経験があることも明かしていた。
今でこそ、貧乏生活を暴露できる位ぶっちゃけキャラのアンミカだが幼少期は内向的な性格だったという。
アンミカの母親は美容部員として働いており、アンミカがモデルとなったきっかけも母親の「ミカちゃんは手足が長いから、将来モデルさんになれるかも」という励ましてくれた言葉が大きかったと過去インタビューで明かしている。
その母を中学三年生の時にガンで亡くなってしまったが、兄妹たちと力を合わせて家計を支え高校へ行きながら早朝の新聞配達やパン屋のバイトなどをしていた。
在学中にモデル事務所に登録し、卒業後は単身パリへ渡り、数々の仕事を直談判でつかみとりモデル活動の基盤を築いた。
本人いわく、「すごいしつこい性格でダメと言われてもあきらめない」という根性があったからだという。
2012年7月には、エンパイアエンターテインメント社社長のセオドール・ミラー氏と結婚しセレブの仲間入りをした。
結婚するまでは国際スパイと思われる男性と婚約したりと何かと波乱万丈な人生を歩んでいるアンミカ、これからも注目である。
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ここまで貧乏な生活って聞いた事がありませんよね( ; ゚Д゚) 本気で悲しくなりました・・・
元彼がスパイってのも聞いた事がないし、凄い人生ですね。