先月26日、「モーニングEye」(TBS系列)などの司会でお馴染みだったフリーアナウンサー山本文郎さんが肺胞出血で亡くなった。79歳だった。
温厚そうな雰囲気で“文さん”の愛称で親しまれた山本文郎さんの最期の様子を2008年に31歳差で再婚した由美子夫人が女性セブンで語っている。
山本さんは大学卒業後、TBSの前身となるラジオ東京にアナウンサーとして入社、定年退職する1994年までTBS一筋。
“生涯現役”を掲げ、TBSを定年退職したあともフリーアナウンサーとして活躍。
私生活では1997年元旦に前妻を脳梗塞で亡くしたが2008年7月に由美子さんと31才差での再婚もしている。
山本さんは亡くなる8日前の2月18日にも地方での仕事をこなし、病床でも今後のスケジュールを気にするなど、最期までその務めを全うしようとしていたという。
同月20日に俳優・石田純一の長女・すみれのコンサートを夫婦二人で楽しんだ。
コンサート前にはビールや大好物のウィンナーをたいらげ、コンサート中も音楽に合わせて指揮者の真似をしてふざけたりと、いつもと変わらぬ様子だった。
しかし帰宅後の深夜0時半頃に突然「胸が苦しい」と訴えた始めたという。
すぐにかかりつけの病院に行き、検査を受けたところ、肺組織からの出血と伝えられそのまま入院
検査を受けている時にはピンピンしていて看病にあたった由美子夫人の方が病室のベットで横になり、山本さんがいすに座っていたほどだったという。
翌日以降も友人たちが駆け付けたそうだが拍子抜けしてしまうほど。
亡くなるその日まで見舞い客や親族が訪れて病室は賑やかだったそうだ。
しかし、事態は一変する。
由美子さんが「みんな帰ったよ」と伝えたのが深夜0時すぎ、その声を掛けた途端、山本さんは苦しみ始めた。
その時の状況を由美子さんは
「人前では、ずっと笑顔でしたから。みんなが帰ったことで、スイッチが切れたみたいに苦しみ出したんです。
それでも意識はあって、“由美子だよ、わかる?”と聞いたら“うんうん”と頷いて。
手を握って“そばにいるからね。愛してるよ”と声をかけ続けました」と語る。
だが、由美子さんの懸命の呼びかけも虚しく、最後は眠ったのかと思うほど静かにスーッと息を引き取ったという。
「先生に臨終を告げられると、すぐに“お疲れさまでした”と主人に頭を下げました。
私は死んだのではなく、“引退”したんだと感じたので…。主人が逝ったのは2時6分でした。
6チャンネル(TBS)で育った彼らしく、“6分”まで頑張ったんだと思うんです…。ですから…“あなた様は天晴れだ! すごい人だ!!”と声をかけたんです…」
2人は、結婚後夫婦げんかを一度もしなかったそうだ。
山本さんは生前「ささいなけんかで時間を無駄に使いたくないですから。相手のいいところを見て、“おれにないところを持っている”部分を見ていれば、まずけんかはないですね」と語っており仲の良い夫婦だったようだ。
「生涯現役と言うのなら、亡くなったら私が引退式をしてあげる」と生前、由美子夫人は山本さんに約束しており、後日引退式の開催を予定している。
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山本さんのご冥福をお祈りします・・・
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