爆報!THEフライデー・男女7人集団変死事件
本日(2015年10月16日)に「爆報!THEフライデー」で「男女7人集団変死事件」
と称した事件の放送が予定されている。
事件の首謀者は90年代を代表するミュージシャンの元妻
「男女7人ネット心中」とも呼ばれるこの事件の首謀者は
ミュージシャンの女性で名前は「マリア」
マリアは1990年代に絶大な人気を博した「T-BOLAN」のボーカルで
2015年にはゴールデンボンバーの鬼龍院翔と「morioni」を結成した
森友嵐士の元妻でバンド「メリーメリーマリー」のボーカルであった。
マリアは森下桂人というペンネームで
T-BOLANの13枚目のシングル「SHAKE IT」の詩を提供しており
T-BOLANの成功を陰で支えた人物ともいえる。
またT-BOLANの代表曲ともいえる12枚目のシングル「マリア」は
森友が元妻のマリアをイメージして作った曲と言われている。
一見、成功者の妻というと誰もが羨む幸せな生活と思われるが
マリアの人生は壮絶なものだった。
「男女7人ネット心中」事件概要
後に「男女7人集団変死事件」とよばれるこの事件は
2004年は10月12日埼玉県の秩父にある皆野町の「美の山公園」の
山林に囲まれた駐車場で男女7人がレンタカー内で死亡しているのが発見された。
事件の前日11日午後5時過ぎに札幌に住む男性から
「友人が皆野町で練炭自殺したとメールが来た」と秩父署に通報があり事件が発覚。
このメールは集団自殺を行った所沢市の男性の携帯電話から自動送信で送られていたものだった。
当時の警察の発表によると7人は
・さしたま市の主婦(33)
・佐賀市の無職女性(20)
・川崎市の職業不詳の男性(26)
・所沢市の無職男性(20)
・東大阪のフリーター男性(20)
・青森県の男子大学生(20)
そしてマリア(享年34)である
住んでいるところも職業もバラバラの7人が知り合ったのは
マリアが開設していた自殺サイトだった。
マリアの壮絶人生…実父からの性的虐待、実母・継父からの暴力
マリアは1970年札幌市で生まれた。
高校を中退後、アメリカ・ロサンゼルスへ留学している。
本人はこの留学を後に「アメリカに家出した」と言っていたが
幼い頃から実の父に性的虐待を、実の母と継父からは暴力を受けていた。
本当の理由は両親から逃げたかったからだろう。
森友嵐士との出会い、絶頂期に極秘結婚
帰国後、T-BOLANの森友と友達を通じて知り合い、
T-BOLANの絶頂期である1994年に極秘結婚する。
結婚後一女をもうけるが別居。
実はマリアはもうひとつ秘密があった。
離婚、T-BOLANの解散一因とは?
マリアは12人の人格を持つ「解離性同一性障害」多重人格だった。
その要素が次第に現れ手に負えない状況になっていき
暴力的な人格が現れた時に自宅に火を付けたことがあった。
それが離婚を考えるきっかけになったようだ。
こうしたことで森友の音楽活動に影響し後にT-BOLAN解散の一因になっていく。
マリアにとっても結婚生活の破綻、
子供と一緒に暮らせないという無念さがあっただろう。
当時の女性週刊誌のインタビューで「毎日つらいです・・・」と答えている。
森友のすすめで精神科医を訪れ、
後にマリアの診療プロセスを再現したドキュメント本「告白 多重人格」
の著書・町沢氏のもとで治療を受け始めるが1997年離婚が成立。
「死にたい症候群」自殺系サイト開設
その後「死にたい症候群」という自殺系サイトを開設している。
開設当初はアクセスしてくる人とコミュニケーションを取っていたわけではなかったそうだ。
では何故その様なサイトを運営していたのだろうか?
真相はわからないが、「死にたい」と書き込むことで
心のバランスをとっていたのではないのだろうか?
繰り返される性的虐待・・・ついに実父を訴え勝訴
この頃からマリアは自傷行為や自殺未遂を繰り返していたという。
実父からの性的虐待は大人になってからも続いていたのだ。
後に実父を訴え、父は実刑7年を言い渡されている。
再婚、出産・・・新しい家族が出来るが・・・
それと同時期(2003年)に子供ができたことで再婚したが
精神疾患の主治医からは再婚を反対されていた。
男性に暴力的になる人格があるため再婚男性ともトラブルが絶えなかったからだ。
新しい家族を持ったことで人生再出発をふみだしたはずなのに
マリアは何故自ら命を絶ったのだろうか?
マリアが残した遺書
マリアが残した遺書には
「ごめんね。お母さんはもう死んじゃうけど、
あなたたちを産んで幸せだった」
と子供たちへメッセージが綴られていたという。
享年34歳
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